スクールの語源は「余暇」だった!デンマークに学ぶ”個性と自由を大切にする教育”
2020/10/01
今回は、デンマークのフォルケホイスコーレにヒントを得て、北海道東川町に移住し"人生の学校"の設立を行っている、株式会社Compath 共同創業者の安井早紀氏より、デンマークの教育についての記事をいただきました。
スクールの語源は「余暇」って知っていましたか?
school(学校)の語源を知っていますか?実はもともとはギリシャ語の「スコレー」からきており「余暇」の意味があります。一見、真逆なイメージがあるかもしれません。
これは私たちがイメージする単なる「暇・ゆとり」ではなく、"学問や芸術に専念し、幸福を実現するための自由で満ち足りた時間”という意味だそうです。幸せを実現するためには、たまには余白の時間が必要ということでしょうか。
私は、まさにそのような「スコレー(余暇)」の時間が欲しくてデンマークへ旅をしました。そして、フォルケホイスコーレを始めとするデンマークの伸び伸びとした教育環境に出逢い、衝撃が走りました。
今回は、そんなデンマークで感銘を受けた教育について、お伝えできればと思います。
フォルケホイスコーレってなに?
私が出会って惚れ込んでしまった「フォルケホイスコーレ」は、大人の”人生の学校”と呼ばれています。約180年前にデンマークで生まれた17.5歳以上なら誰でも通える全寮制の教育機関です(注1)。
北欧に150校あり、それぞれのフォルケホイスコーレで学べる内容は多種多様。ジャーナリズム・歴史・サステナビリティなどの科目に、演劇・アート・ヨガとマインドフルネスと言ったものまで「社会を知る」ことや「自分を知る」ことに重点が置かれています。
(注1)16歳から入学できるユースホイスコーレや、高齢者限定のホイスコーレプログラムもあるため、入学できる年齢は学校による
そして、授業だけでなく日常会話でも「対話」を大事にしていて、共同生活のなかでの学びに価値を置いています。
人生で余白のなかに自らを置き、いろいろなものに触れながら感性を耕すことで、今までの人生の道筋をふりかえり、これからの未来に思いを馳せる―。フォルケホイスコーレはまさに、そんな「スコレー(余暇)」を過ごすための空間です。
そんな自由な教育機関「フォルケホイスコーレ」が、長年国民に愛されているデンマークって、一体全体どんな国なんだろう?と、ますます興味が深まっていきます。
●北欧の対話については『答えのない時代にそなえよう!家庭ではじめる北欧流の“対話”』の記事も合わせてご覧ください。
0年生と10年生がある「マイ・ペース」な国、デンマーク
デンマークでは、1年生〜9年生が日本と同じ義務教育期間にあたりますが、これに加えて、日本では聞き慣れない「0年生」と「10年生」というシステムがあります。
「0年生」とは、幼稚園から小学校へのステップのこと。デンマークでは、この移行期間を「0年生」と呼びます。
幼稚園の終盤4ヶ月は小学校へ週に何回か通いながら、人と環境に慣れる時間をとります。時間割に合わせてお昼ご飯を食べたり、座って大人と対話しながら「小学校で過ごすこと」に慣らしていくのです。
そして、好きな時間に好きなように過ごしていた幼稚園時代から、同じ時間に同じことをやることが求められはじめる小学生へと移行します。
しかし環境への適応は、子どもの個性や特性によって違いますよね。日本では「小1プロブレム」と言われるような、環境変化に対して起こる困難に、デンマークは「0年生」という仕組みで寄り添っています。
さらに、9年間の義務教育を修了したら、卒業して高校に進むか「10年生」に進むか選ぶことができます。
学力到達度や進路の決まり具合をもとに、教師と保護者とよく話し合いながらどちらに進むべきか選択するのですが、もう一度9年生をやり直して学力向上に努める者もいれば、インターンやエフタスコーレに通うことで将来について考える時間をとる人もいます(注2)。
(注2)エフタスコーレは、14歳から18歳が対象の全寮制の教育機関。フォルケホイスコーレと同じく、自分自身に向き合う時間を大切にしている。
日本だと留年と表現されるため、マイノリティのように感じるのですが、デンマークではなんと約50%が「10年生」を選択します。
「0年生」や「10年生」に限らず、どのクラスにも年齢が違う子どもがいることは当たり前で「人それぞれ」という考え方です。「落ちこぼれ」といった概念がないことが、デンマークの特徴と言えるかもしれません。
このようにデンマークでは、一律で効率よく進むよりも、子どもの幸せを中心に考えていて、タイミングごとに「いま進んでるスピードはあなたにとってマイ・ペース?」と問う機会が社会に組み込まれているのです。
デンマークには塾がない?
―デンマークには、塾ってないんですか?
これは、私たちがデンマークに視察をした時に最も苦心した質問です。デンマークでは、学力をうんと上げてまで学校に入る必要性と、そのために通ういわゆる進学塾という仕組みも、ピンと来ていないようでした。
「そこまで苦心しなければ入れないようならば、もっと適した道があるはずじゃないかしら?」というのが彼らの考え方だったので、日本の概念を伝えることに苦労しました。
塾がない代わりに、彼らが大事にしているものは「エフタスコーレ」であり、「フォルケホイスコーレ」です。
フォルケホイスコーレに関わる関係者に話を聴いて、感動したことは「become who you are(あなた自身になる時間を)」という一貫したメッセージです。何者かになるために時間や労力をかけるよりも、私自身になる時間をとることを大事にしています。
「エフタスコーレ」や「フォルケホイスコーレ」では、明確な専門性やキャリアアップに使える資格が得られるわけではありません。
その代わりに、肩書きや所属を外した一人の人間として共に暮らすことで、本当の個性に気付いたり、本当は手を伸ばしたかったけど後回しにしていた教養やアートに没頭してみることで、感性を育むことができます。
何よりも、たっぷりの余白時間の中で、コーヒーやリンゴを片手にお互いの人生や哲学を対話する日々は、自分の中の無意識の前提に気付いたり、新しい世界の見え方を手に入れられる大事な瞬間です。
「その時間は、自分の人生の道筋を決めるためには不可欠な時間だった」と経験者たちが口々に語っていたのが印象的でした。
「自分のペース」で「自分の人生を生きる」ことを、国として大事にする
なぜデンマークは、これほどまでに”自分の人生を生きる”ことを大事にしているのでしょうか。
今から150年ほど前、戦争の敗北と領土の縮小により国中が絶望に覆われた時代がありました。そのような社会情勢のなかで、国民の心にあったのは「外に失いしものを、内にて取り戻さん」という言葉です。
最後に残った資源が「人」であることに気付き、その「人」の力を信じることが出発点となっています。そうした背景から、個性を育み尊重することに価値を見出したとか。そこから国が豊かになることを信じて仕組みとして考え出されたのが、「0年生」や「10年生」と言った教育システムなのです。
日本で言う「教育」にあたる言葉は、デンマークでは「oplysning(オプリュスニング)」と言います。
詳細な訳は「ひとりひとりが心に灯を灯し、その灯で互いに照らしあうこと」。言葉の端々から「人」の力を信じる姿勢が見てとれ、デンマークの凄さを感じました。
「日本にもスコレー(余暇)を!」私たちCompathの活動
―フォルケホイスコーレ、これ、日本に欲しくない?
デンマークの様々な取り組みや姿勢に触れて、私たちも心に灯が灯ったような気持ちになりました。そして日本にももっと「スコレー(余暇)」があればいいのに、と感じたのです。
誰かに求められたペースからマイ・ペースに立ち戻る場所も、「become who you are(あなた自身になる)」時間も必要です。もちろん子どもたちにとっても、大人にとっても。
3年前に心に宿ったちいさな問いから、私たちの活動は始まり、現在は北海道東川町に「人生の学校」を作るための挑戦をしています。
そして他国の教育や仕組みを勉強して周るなかで、日本人や日本の良さも痛感しました。努力家で職人気質な人が多いこと、長い伝統が感じられるものが身近にあり美的意識が高いこと。これらは他国に「クールだよね!」と羨ましがられるほどで、日本人が誇るべきものだと感じます。
人生のなかに「スコレー(余暇)」の時間を持つことができる、そんな寛容な時代になれば、もっといい社会になる。そう信じて、私たちは活動を続けています。