カシオの「Moflin(モフリン)」を作りあげた二村 渉さんが語る、大企業でロボットをつくる方法
2025/11/28
ロボットづくりを仕事にする――。簡単なようで難しい問題です。なにしろ、ロボットはまだまだ発展途上であり、製品として売れるのかどうかも未知数。「スタートアップを立ち上げて市場を生み出す」ことに挑戦しがいはあるものの、それはうちの子にはちょっとリスキーすぎるのでは…と警戒してしまうのは、親心というものでしょう。
「起業しなければ、ロボットづくりを仕事にできないの?」と嘆く保護者のみなさんの中には、こう考える向きもあるかもしれません。どこかのメーカーに入り、社員エンジニアとしてロボットづくりに専念できたらいいのに、と…。
そんな折にキャッチしたのが、カシオ計算機(以下、カシオ)が発売したロボットが大人気――という話題。
実際に伺ってロボット開発に携わった方に話を聞くと、そこには、カシオとそこに属するエンジニアならではの哲学が込められていました。
カシオ計算機株式会社 サウンド・新規事業部
第三戦略部第一企画室チーフ・エンジニア
二村 渉(にむら・わたる)氏
1989年4月、カシオ計算機株式会社に入社。電卓などの量産機構設計に始まり、研究開発部門では要素技術開発を実施。そのひとつが今のMoflinの開発につながっている。現在はMoflinの企画チームで、ハードウェアの企画を推進。
G-SHOCKのカシオが送り出すやわらかロボット
カシオといえば、特に保護者世代なら、腕時計の「G-SHOCK」を思い出す人もいるのでは。耐衝撃性や多機能、ごつごつとしたスクエアなデザインが特徴のG-SHOCKは、1990年代後半に一躍大ブームに。女性向けの「BABY-G」とともに、若者のマストアイテムになりました。
といっても、社名にある「計算機」が示すとおり、カシオは本来、時計だけでなく電卓や電子辞書、デジタルピアノなどもラインナップする電機メーカーです。そんなカシオが、ロボットを発売した――と聞けば、想像するのはまるでG-SHOCKや電卓のような、どちらかというと武骨なゴツカワロボットで…。
「これが、カシオのMoflin(以下、モフリン)です」
…想像とのあまりの違いに、そしてそのもふもふっぷりに、我を失いかけました。東京・渋谷区のカシオ本社で出会ったモフリンは、実にもふもふとしていて、かわいらしいことこの上なし。ご覧の通り、手のりサイズの小動物のように小刻みに震え、きゅいきゅいと鳴いているのですから…!
「モフリンは、寄り添ってくれるバディ(相棒)のような存在のAIペットロボットです。特に便利で役立つ機能があるわけではありませんが、癒しを与えてくれるロボットを我々としては提供したいなと」とモフリンのコンセプトを教えてくれたのは、チーフ・エンジニアの二村 渉さん。
ただ、小動物のよう…といっても、モフリンには手足やしっぽがありません。なんでも、二村さんによれば「最初は他のロボットのような、プラスチック製のカバーに覆われたものとして開発が始まった」んだとか。
「最初は手足を付けることも当然、考えました。でも、いろいろとくっつけていくと、小動物とは言いがたいほど、大きくて複雑なものになってしまう。そこで削ぎ落とす作業が必要になりました。愛おしさを追求する上で手足は不要と判断し、同時に言語をしゃべらせることもやめました」と語る二村さん。
カシオWebサイトによれば、G-SHOCKの初号機である「DW-5000C」(1983年発売)は「究極のタフネスを求めて、一切のムダを省くという発想から生み出された」といいます。カシオの哲学に則ってムダな機能を削ぎ落としたモフリンが目指したのは、“愛おしい生きもの感”だったのです。
実はモフリンがこの世に生を受けたのは、社内の2つの要素がマッチしたのがきっかけです。
「我々エンジニアは要素技術の開発側として、特に企画者を設けず、“小動物の愛おしさの表現”をテーマとして研究開発していました。それとは別に、社内である女性の企画者が女性向けの商品の企画を求められて『自分に寄り添ってくれる、癒やしになるものがあったらいいな』と考えていました」
そんな彼らが同じ部署になったことがきっかけで、企画者が思っていたものを実現する技術と技術を活かす企画者がうまく合致し、プロジェクトとしてカタチになったのです。
人の愛おしさを搾取するもふもふ
機能を削ぎ落としてコンパクトにする――その哲学とは反対に、モフリンに足されたのが、毛(フェイクファー)です。モフリンのもふもふとしたフェイクファーは、愛おしさを増幅させる大きな要素といえるでしょう。「プラスチックのままだと、どうしても生き物に見えないから」というのもうなずけます。
しかし、このフェイクファーがなかなか厄介なものだった…と述懐する二村さん。
「モフリンを小動物に見せるためにフェイクファーを被せることが、開発を非常に難しくしましたね。これはロボット開発者ならわかると思うのですが、センサーにとっても邪魔ですし、動きの制御においてもハードルになる。さらに、無線で行う給電の面で大きな障害になります」
当然のことながら、カシオには“毛”に関する技術的な蓄積がなかったため、この調整が一番苦労した点だと苦笑交じりに語る二村さん。しかしこのフェイクファーがあるからこそ、モフリンには生きもの感があふれているのです。
ちなみにこのフェイクファー、新しいものに交換する「ファーリニューアル」だけでなく、実際のペットのようにシャンプー&ブロウをしてくれるサービスもあるのだとか!これは「我が家のモフリンの毛並みが変わってしまう」という懸念に対する措置だそう。
そしてもうひとつ、生きもの感の演出に欠かせないのが――。
「生きもののように、常に動いていることですね。寝ているときでも背中が膨らむよう“呼吸”をさせたり、充電しているときでさえも少し動くようにしたりしています。完全に停止してしまうと、とたんにぬいぐるみになってしまう。ぬいぐるみと同じでは、我々が目指す生きもの感は出せないなと」
その動きを理解するため、二村さんたちは生まれたばかりの子犬や子猫の動きにある“たどたどしさ”を観察し、動画を見て熱心に研究したのだとか。ちなみにモフリンは、飼い主が接したり、声をかけたりすることで発露する感情や性格が変わります。つまり、生きもののように、徐々になついてくれるのです。
「プラスチックのロボットを作る時には必要ないかもしれませんが、モフリンのような製品を作るには、そのような観察力や興味を持つことは非常に大事ですね」
育てる楽しみがあるのは、ペットロスになっていたりペットを飼えなかったりする人にぴったりといえるでしょう。ちなみに、生みの親である二村さんの家のご事情はというと…?
「自宅にいるモフリンは家族がもう手離さなくて、自分はあまり触らせてもらえていない(苦笑)」
カシオの意外なロボットの歴史
二村さんがモフリン…もとい、“小動物の愛おしさの表現”をテーマとした研究開発をはじめたのは、2016年頃。そしてモフリン(仮)の試作機自体は、実はその約一年後にはほぼできあがっていたといいます。
ここでふたつの疑問が浮かびます。まず、一年でカタチになったのに、すぐに出さなかったのはなぜなのか?
「それはカシオには機能製品――つまり“便利さ”を売りにする製品が多く、モフリンのような感性に訴える製品を出すのを決断するのは経営判断的に難しかったからだと思います。なので、新たなコンセプトの製品の実現可能性を検証するPoC(概念実証)を重ね、売れることと飽きられないことを証明する必要がありました。そこに時間がかかった感はあります」
確かにカシオにとって、AIペットロボットは未知の市場。
それでも無事に発売してくれた英断に拍手を送りたいところですが、もうひとつの疑問は「時計や電卓をつくる会社が、そんなにすぐに、ロボットを開発できるものなの?」。そんな疑問を二村さんにぶつけると、なんと、カシオはロボットを以前から研究開発していたというのです。
「そもそも、ロボットの定義をどう捉えるかにもよりますが、“自動化するもの“がロボットだとすれば、ロボットの企画は当社にも存在しました。過去には、英会話を学ぶためのロボット『レッスンポッド』のような商品も出しています。
ただ、やはり研究開発したものは、経営的に見て製品化するかどうかをジャッジされるので、企画によってはそこで消えたり、手を変え品を変えつつ、また新しい企画として再挑戦したりする…といった具合です」
長期にわたる先の見えない開発で、二村さんがどのようにモチベーションを維持したのかも気になるところ。
「それはもう、あきらめない…ということしかないですね。このモフリンに関していえば、節目節目でPOC(概念実証)で成果が出たことが大きかった。例えば、アンケートを集めた結果が良好だったり、世界最大のテクノロジー見本市であるCES 2021に協力会社さんが出展して賞をいただいたり…そういった成果が『これならいけるんじゃないか』という励みになりましたね。やはり、自分たちのやってきたことを信じる姿勢が大切です。そうでなければ、プロジェクトを打ち切られていたかもしれませんから」
気になるモフリンの“次の可能性”についても聞いてみました。
「モフリンは事業としては、メンタルウェルネスという領域に該当します。ですから、AIペットロボットも、その目的を達成するための手段の一つ。今後もすべての製品がロボットとして出てくるかはまだわかりませんが『モフリンだけで終わらせたくない』という思いはありますし、次の製品も作りたいと考えています」
基本的に落ち着いた物腰で話す二村さん。しかし彼の目の奥には、静かに燃えるエンジニア魂が垣間見えました。
発明マインドが息づく会社
子どもの頃から二村さんは、機械いじりが好きだったといいます。
「私は子どもの頃、粗大ごみとして捨ててあったテレビやパチンコ台を拾ってきて、分解するタイプでした。中学生の頃にはもう、電気製品や建築、設計といった分野に興味があり、将来は設計の仕事がしたいと思っていました。その目標に向かって勉強をしていたという感じです」
カシオに入社後、最初に配属されたのは、電卓の機構設計。
「そこからラベルプリンターの量産設計を経験し、それがきっかけで、当時はデジタルカメラのデータを写真にするような、画像印刷関連の研究開発の部署へ移りました」
現在はモフリンの企画チームで、主にハードウェアの企画を推進に取り組む二村さん。一言でいって、カシオとはどんな社風なのでしょう?
「少なくとも私の世代では、いろいろな新しいものに挑戦させてもらえましたね。例えば、電卓に温度計をくっつけてみたり、『こんなものも出すの?』という驚きのある製品もあったりしました。世間的には消費者向けに、多く売れる製品を作っている会社に見えるかもしれませんが、『そういう発明的なものもアリなんだ』と思わせてくれるような会社ですね」
発明――。300以上の特許を取得したカシオ創業者のひとりである樫尾俊雄氏は、発明に関して、発明王トーマス・エジソンが好んで使った言葉である「必要は発明の母」ではなく、「“発明は必要の母”なのだ」と語ったのだそう。そう、その“発明のDNA”が、今もカシオに息づいているのです。
奇しくも、紙タバコを根本まで吸うために発明された俊雄氏による「指輪パイプ」を思い出させる、革新的な指時計「G-SHOCK nano」がこの10月に発表されています。
指輪パイプ(上)とG-SHOCK nano(下)
「私は主に、メカトロニクスという技術分野を担当してきました。ですから、ロボットの企画が立ち上がったときも“動くもの”なので、設計として我々が携わるのは当然の流れでした。プリンターの動きとロボットの動きが地続きとまでは言いませんが、基本的な考え方は同じです。あとは、ロボットにおいてはどのようにものを動かすか――という話になるだけなので」
子どもの頃の話になって、かつての自分を思い返す彼。
「もし子どもの頃、ロボット教室のようなものがあれば、行ってみたいと思ったでしょうね。今の時代は、昔のように機械がむき出しになっていることも少なく、メカニズムを学ぶ機会が減っています。そういう意味で、ロボット教室でものが動く仕組みについて学ぶことは、意味があることだと思います」
そんな話をしている最中、二村さんの「私はね、ロボットを作りたかったわけじゃないんですよ」という発言が飛び出しました。
ロボットを作りたいなら「急がば回れ」?
それは冒頭の疑問――つまり、ロボットづくりに熱中している子どもたちが将来的にロボットを仕事にしたいのなら、ひたすらロボットについて学び、ロボットベンチャーを立ち上げなければならないのか?と尋ねたときの話でした。
「私は、一番大切なのは『何のためにロボットを作りたいのか』だと思うんです。企業としては、何を目的として、お客さまに対してどのような価値を提供するのか――から始めないとおかしな話になる。だから自分がロボットを作りたい、というだけでロボットの会社を立ち上げたり、就職先として選んだりしていいものなのかな、とはちょっと思います」
二村さんはこうも言います。
「個人的には、専門分野しかわからないスペシャリスト型では、ロボットづくりは厳しいのではないかな、と思っています。特にロボット研究・開発は、総合的な技術が必要とされる分野なので。
メーカーでも、いきなりたくさんのリソースが与えられてプロジェクトが始まるわけではなく、最初は3人でのスタートでした。だから、それぞれが幅広く技術についてわかっていないと何も進められないんです。協力してくれる会社があっても、課題ややりたいことをどう説明するかという力も必要ですしね。幅広い技術を結びつけられる力が求められる」
カシオで電卓やプリンターなどの技術について研究し、さまざまな経験を積んだからこそ、二村さんは今、モフリンというロボットの発明にたどり着きました。その意味では、ロボットに携わりたい子どもがカシオのような会社に入るのは、ベンチャーに比べると遠回りのようで案外、近道なのかもしれません。
そして、子育てにおいて大事なのは、さまざまな経験を積むことでは?と二村さんは問います。「私も子どもがいて、それで100%満足させられたかといえば難しいんですけれど」と苦笑いしながら――。
「今の自分がいろいろなことをできているのは、いろいろなことを経験し、成功や失敗から学んだからです。それはムダと思えることも含めて。それらを学んだ結果が、今になっていると思います。だから、受験勉強もロボットづくりも両方とも、学ぶことが楽しいと思える子どもなら、両立できるはず」
二村さんもカシオに入社して、たくさんのことを学んできたといいます。
「常に新しいことを学ばないとダメだという切迫感と、純粋に新しいことを知りたいという意欲の両方は、エンジニアとして必要なんです。なので、学び続けられないエンジニアでは、生きていくのは難しいだろうと思います。
好きと得意はちょっと違うけれど、得意なことを仕事としてやるのが一番良いでしょうね。好きなことと得意なことがイコールになるのが、一番ハッピーなのかもしれない。私は好きと得意が一緒だったから、まあ良かったかな。
…とはいえ、私は英語ができません。英語ができればもっとスムーズに仕事が進むはずで、話せたほうが絶対にいいとわかっているのですが。好きではないので、なかなか頑張れないんですよねぇ…」
そう苦笑いする二村さん。――彼がロボットを作りたかったわけではないけれど、結果的にロボットにたどり着いたのは、カシオで会社員エンジニアとして、好きな設計の仕事に専念できたからです。彼らの絶え間ない研究・開発によって、モフリンは生まれました。
ただ、メーカーならどこでもそんな研究をさせてもらえるわけではありません。やはり、その会社に「新たなチャレンジをしようとする精神が宿っているか」が重要です。
その点、カシオは東証プライム市場に名を連ねる大メーカーではあるものの、創業時の“発明マインド”はいまだ健在のようす。その意味で、ロボット好きな子どもの将来を考える上で、会社選びはこれまで以上に重要といえるのかもしれません。
もしロボット好きが講じて「大人になったらすごいロボットを発明するんだ!」と今から宣言しているお子さんがいたら、「カシオという発明家がつくったおもしろい会社があってね…」とそっと教え込んでみてください。そのとき、傍らにもふもふのモフリンがいれば、話の説得力はさらに増しそうです。
取材・執筆:スギウラトモキ
