「深宇宙展」監修者の戸梶 歩さんが訴えたい、“推し”を見つけることの大切さ
2025/06/27
子どもが夢中になれるものを見つけ、親はそれに取り組む環境をつくる――。
子育て界隈でよく言われることですが、その難しさを感じている保護者の方は、案外多いのではないでしょうか。子どもが何に夢中になるのかわからないし、すぐに飽きてしまうこともあります。場合によっては、親が自身の子どもの頃に好きだったことを無理にやらせ、子どもがそれをむしろ嫌いになってしまうケースも…。
子どもがいつ、何に夢中になるのかは誰にもわかりません。ただ、大切なのは、未知なる“ワクワク”との遭遇の機会を増やすこと。
もしかすると、2025年夏に開催されるある展覧会も、その一助となる可能性があります。展覧会の監修者である宇宙開発エバンジェリストの戸梶 歩さんに、お話を伺ってみました。
※写真は日本科学未来館常設展示の様子です。特別展「深宇宙展の実際の展示風景とは異なります。
宇宙開発エバンジェリスト
戸梶 歩(とかじ・あゆむ)
1974年高知県生まれ。東京大学大学院(航空宇宙工学専攻)、米国スタンフォード大学大学院修了後、ロッキードマーティン社やIHIなど日米の航空宇宙関連企業のほか、慶應義塾大学大学院特任講師などを経て、JAXA火星衛星探査機(MMX)プロジェクト主任研究開発員を務める。2023年にAT Forefront株式会社を設立、 代表取締役社長に就任。俳優や文化人の肩書きも持つ。
近場から200万km以上先の宇宙がわかる特別展「深宇宙展」
「絶対に自分の“推し”が見つかりますよ!」
特別展「深宇宙展~人類はどこへ向かうのか To the Moon and Beyond(以下、深宇宙展)」が、2025年7月12日(土)~9月28日(日)、東京・お台場の日本科学未来館で開催されます。
監修を務める宇宙開発エバンジェリストの戸梶 歩さんは、力を込めて「推しと出会える展覧会」をアピールします。
…はて、“深宇宙(シンウチュウ)”とはあまり聞き慣れないワード。戸梶さんによれば「地球からずっと離れたところ、200万km以上先にある遠い宇宙」のことだそう。ちなみに、月までは約38万kmです。
「深宇宙展」では地球から遠く離れた深宇宙に存在するブラックホールの正体や、それを観測してきた巨大望遠鏡の秘密などを知ることができます。さらに、深宇宙に限らず、最新の宇宙開発ネタももりだくさんです。
例えば、有人月面探査「アルテミス計画」で使用される有人月面探査車「有人与圧ローバー」の実物大模型を見られたり、実際のロケットの部品に触れられたり、さらには「はやぶさ」&「はやぶさ2」が持ち帰った粒子の実物も…
「火星衛星探査計画“MMX”の2分の1スケールモデルもあります。これも、めちゃくちゃデカいです!」(戸梶さん談)。
地球を起点として、国際宇宙ステーションが漂う“近場の宇宙”からはるか遠くの深宇宙まで理解できる、体験型の展覧会なのだとか。
「宇宙好きはもちろん、宇宙好きではなかったとしても、ぜひ、だまされたと思って来てほしいですね(笑)」と熱く語る、このダンディな男性。好きになれるものとの出会いは、とにかく大切だと考えているようですが…?
昼間のパパは主夫と宇宙開発エンジニア
かく言う戸梶さんは、幼いときから宇宙…ではなく飛行機やものづくりに興味を抱いていたそう。彼が小学生の頃、翼を持ったロケットことスペースシャトルが飛び始めました。そして大学院生の頃には国際宇宙ステーションが建設開始。つまり、宇宙開発に対してイケイケだった時代の空気を、戸梶さんは胸いっぱいに吸い込んだのです。
「今となっては、スペースシャトルがコストや安全性の理由で退役したのも理解できるし、クルードラゴンやオリオン(注:いずれも米国の有人宇宙船)に置き換わるのも妥当だと思います。でも、やはり翼があるとカッコいいですよねぇ」
「今、シエラスペースという米国ベンチャーの会社が開発しているドリームチェイサーという宇宙往還機があって、それが大分空港を着陸場所に使うかもしれなくて。もしかしたら、日本でもスペースシャトルの小型版みたいな機体が降りてくるシーンが見られるかもしれませんよ――」と語りだしたら止まりません。
さすがは、みずからを“宇宙オタク“と称する御仁。
だからといって戸梶さん、「星座はオリオン座ぐらいしかわからない(笑)」そうですし、宇宙飛行士になりたいわけでもなかったそう。メカ好きな彼が得意とするのは、宇宙開発の分野。米国の航空宇宙企業でキャリアをスタートし、日本のJAXAでも、さまざまな人工衛星・探査機の開発に携わってきました。
「長年、エンジニアとして人工衛星や探査機の開発に携わってきて、そのカッコよさを伝えたい。特に若い人には、宇宙ってワクワクする場所で、おもしろいでしょ?いっしょに宇宙開発をやりましょう!と言いたくて、宇宙開発エバンジェリストとしての活動に取り組んでいます」
そんな彼は主夫としての顔も持っています。なんと、主夫歴20年以上のベテランです。
「日本の一般的なお父さん・お母さんの役割から見れば我が家は真逆かもしれないですけれど、妻が大黒柱として稼ぎ、私は子どもの世話も家事もほぼやってきました。アメリカでエンジニアをして働いていたときは、朝7時から15時過ぎぐらいまで仕事をして、家に帰って子どもを公園へ連れて行ってクタクタになるまで遊ばせて、家に連れて帰ってご飯食べさせて、お風呂へ入れてすぐ寝かせる生活でした。
すると、子どもに関することはよくわかるようになって、何かおかしなこととか、体調がちょっと悪そうだな…といったことに感度が高くなるんですよ」
「そのおかげなのか、アメリカで宇宙開発エンジニアをやっていたときも、ずっと携わっている衛星のデータを見ながら『何かおかしいぞ?』と感度が高くなっていました。実際に、担当している観測機器が打ち上げ直後に送ってきたデータを見たときに違和感を覚え、さらに詳しいデータを調べたら、やはりトラブルが起きていたことがわかった。すぐに対策し、何とかミッションを続けられるようになるまで回復させたこともありましたね」
人工衛星もまるで我が子のように見ていた――と目を細めて語る戸梶さんですが、本当の子育てのほうではさすがに予測できない事態に襲われました。
三人の子どもが、みんな不登校になったのです。
不登校という「未知」との遭遇
最初に不登校になったのは、一番勉強が得意だと思われた次男でした。
両親ともに東京大学卒という高学歴ゆえ「口には出さなかったけれど、どこかで期待していたのかもしれない」と戸梶さん。次男はその期待を感じ、気負いすぎてしまったのかもしれません。小学校5年生に上がる段階で、中学受験塾の宿題の難しさと量の多さに押しつぶされてしまい、やがて学校の宿題でさえも手がつけられなくなります。真面目な気質ゆえにそれを負い目に感じたのか、学校へ行けなくなりました。
戸梶さんは子どもの不登校に、エンジニアならではの論理的思考と問題解決能力を駆使して、真摯に向き合おうとします。
「自分は『学校に行きたくない』という経験をしたことがないので、子どもがなぜ学校に行きたくないのか、その理由を教えてくれれば、解決できるのではないかと思ったんです。…めちゃくちゃ理系な考え方ですよね」
ところが、不登校の子ども本人には「なぜ自分が学校へ行きたくないのか」が説明できません。
行かなければと思いながら一歩踏み出せずに泣きわめく子ども。一方で何とか学校へ行かせようと、あの手この手を試す親。毎朝、戦争のような状況を経て、親が学校に「今日も行けません」と電話する――互いに疲弊するばかりだったと戸梶さんは述懐します。
「これは彼があとで話してくれたのですが…。当時、息子はみずからの命を絶とうと思って…いたと…」
先ほどまで宇宙開発の魅力を嬉々として語っていた人と同一人物とは思えない、うつむいて声を詰まらせるひとりの親が、そこにいました。
戸梶家はどこへ向かったのか
やがて、長男も三男も不登校に。疲弊しきった家庭を、主夫である戸梶さんはどう立て直したのでしょうか。
「あきらめたんです。学校には、もう行かなくてもいい。それより、生きていてくれればいい…と。そう思ったときから、変わりはじめた気がします。学校への連絡の仕方も『行けるときだけ電話します』と変えた。それによって親子のバトルもなくなるので、徐々に落ち着いてきましたね」
不登校の子どもを持つ家庭は、多くがこの葛藤のプロセスを経ると戸梶さんはいいます。あきらめないと先に進めないことにいつ気づくのかで、双方の傷の深さが変わってくるのだとか。
さて、学校へ行かないとどうなるの、どうするの?と心配に思われる保護者の方は多いはず。戸梶さんは「子どもは自分が興味のあることから、自分で学ぶんですよ。学校でなくても、学ぶ場所や学ぶ方法は自宅にもある」と話します。彼が例として挙げたのは驚くことに、ゲーム…!
「不登校の子どもあるあるで、次男も昼夜逆転するぐらいゲームにのめり込みました。コミュニケーション能力が育たないことを心配したのですが、最近のゲームはひとりでプレイするのではなく、ボイスチャットなどでコミュニケーションを取りながらプレイすることが非常に多い。おかげで仲間ができて、彼に居場所ができたんです。ゲームのおかげで、命をつないだようなところもあります。むしろ、男女年代問わずそのゲームを好きな人たちが集まっているので、同年代の子で固まっている学校よりコミュニケーション能力は鍛えられたのかな」
次男はゲーム仲間から影響を受け、突然、高卒認定試験を受けたいと言い出したそう。合格してからは経営を学びたいと、この春から経営学部生として大学に通っています。小学校から中学校は一切行かず、通信制高校も1年でやめてしまった子どもが、です。
「親がいくら高卒認定を取って大学へ行ったらと言っても、一切やろうとしなかったのに」と戸梶さんが驚くほどの変貌ぶり。
戸梶さんは当時を振り返りながら、「得意なことを持っていること」の強みを強調します。
「私たち世代の価値観のように、成功はひとつではないし、学びの道もひとつではない。これからは、少なくとも何かひとつ、これだけは他人に負けない自分の強みみたいなものがあるといいですよね。それを身に付けるのは、いい学校へ行くことがすべてじゃないんです」
子どもが好きなことをそれぞれ事業化する家庭
戸梶さんは「AT Forefront」という自身の会社の、代表取締役社長です。そして会社の副社長は、彼の子どもたち。この会社は別に税金対策というわけではなく、それぞれの好きなことを仕事にするための“器”なのです。
「子どもたちがまだ高校生に当たる年齢だった当時に設立したのですが、彼らに学歴がないとなると企業に就職することが難しいかもしれないなと。それでセーフティネットとしての役割を持たせつつ、自分の食い扶持ぐらいは稼げよ!という思いで設立しました。経理面なども個々人でやらせるよりは、会社のほうが当然やりやすいし」
例えば、前述の大学生である次男。彼にはゲームにのめり込んできたからこそ、周囲のゲーマーの人たちが困っていることがあると気が付きました。でも、それを解決できるガジェットが存在しなかったので、自分でプログラムを書き、電子基盤を設計して、中国の工場に発注・製品化し、販売しているのだそう。
また三男は、通信制高校の授業をVRで受けていたことからVRに関心を持ち、VRの中で使うアバターや3Dモデルを製作して販売しているのだとか。そう、AT Forefrontは、戸梶さんの宇宙関連事業のほかに、ゲームやVRなど複数の事業部を「子どもの数だけ」抱える会社なのです。
おもしろいのは、戸梶家では社長へのプレゼンテーションによって、事業に対する投資可否を判断していること。
「普通の会社でも、当然行いますよね。作りたいもの・売りたいものがある場合には企画書や稟議書を出させて『こういうものを作りたい、こんな市場規模なので、これぐらいは売れると思います』って。弊社でも、社長である私をプレゼンで納得させてくれたら、お金は出すよと(笑)。
10万円程度の投資なので真似事に過ぎないレベルですし、基本的には却下したことはないけれど、無条件にお金を出すのは、何かちょっと違うなと思って」
戸梶さんは3人の子育てを経験して、気づきました。子どもと親が異なるものだ、ということに――。
「子どもと親って、興味を持つことも当然違う。それは大前提であることを、保護者の方は知っておいたほうがいいと思います。私としては航空・宇宙領域に興味を持ってほしいと思ったので、3兄弟に対して宇宙の図鑑を与えたり、職場に連れていったりして、宇宙はこんなにおもしろいよ!と伝えたんですけれど、誰も宇宙好きにはならなかったですね」
そう苦笑する戸梶さん。確かに子どもは、親の思ったとおりにはいかないものですし、予想もしなかった方向へ向かうものです。
「けれどね」と彼は続けました。
「子どもは知らないことには、興味を持てないんですよ。なので、強制はできないんだけれど、いろいろなことに触れさせてあげることは大事かなと思っています。そうそう、ちなみに長男は今、歌舞伎役者なんです」
今度は不登校から…歌舞伎役者!?
“推し”があれば人生はなんとでもなる
訊けばそのきっかけは、長男が小学5年生の夏休み前にもらってきた「小学生のための歌舞伎体験教室」のチラシ。
試しに行ったらハマり、歌舞伎役者になると宣言。そのために日本舞踊を習い始め、16歳のタイミングで歌舞伎役者を養成する国立劇場養成所に入り、2年間の修行ののち、晴れて18歳でデビューしたんだとか。
「たまたま子どもが持ってきたチラシで行ってみたらと勧めたら、結果的にそのことが長男の仕事につながりました。私は何をしたわけでもないですが、そのチラシを彼が入手して行ってみなければ絶対にそうはならなかった。子どもって、何が響くのかなんて、本当にわからないですよ」
「セレンディピティ(思いもよらなかった偶然がもたらす幸運)」という言葉を、思い出さずにはいられないエピソードです。私たちはつい子どものためにレールを敷いて通常運行を求めてしまいがちですが、子どもが生み出す「未知との遭遇」こそが、子育ての醍醐味なのかもしれません。
そして、戸梶さんには夢があります。それは俳優として、ドラマで長男と同じ画面に映ること!
「長男が『歌舞伎役者になりたい』と言い始めたことに、私も影響を受けましてね。芝居をやったこともないけれどエキストラ事務所に登録して、映画やCM、再現ドラマなどの撮影現場へ行くようになりました。すると『東大を出てJAXAで働きながらエキストラやっている、おもしろいやつがいる』と、芸能事務所にお声がけいただいて、エキストラからいわゆる俳優部へ移ることになりました」
その後、コロナ禍によって、仕事が減るのと同時に芝居だけで勝負していくのはさすがに分が悪いと感じ、宇宙業界での知識・経験が武器になる文化人枠にシフトしつつあるものの、彼は今も俳優を名乗っています。それは、長男との共演実現を目指しているから。
「私が有名になって、『私の力でひとつよろしく』と長男を起用してもいいですし(笑)、逆に私が歌舞伎役者として有名になった長男のおかげで、チョイ役として出るのもオッケーですね」と笑いながら語る戸梶さんは、本当に嬉しそうに見えました。
推しがあれば、人生はなんとでもなる。そう主張する今の戸梶さんの推しは、宇宙開発であり、家族との時間です。
宇宙開発も家族の物語にも、未知との遭遇とそれに伴う苦難があるもの。でも、それを乗り越えた先には無限の可能性もあることを、戸梶さんとその家族は教えてくれました。
私たち親世代はみずからの成功体験にとらわれ、それを知らず知らずのうちに子どもたちに押し付けてしまっているのかもしれません。しかも、子どもを思う気持ちという“善意”の名のもとに…。
けれども、戸梶さんの言うように、子どもは子ども、親は親です。親は親の人生をしっかり楽しみ、その姿勢を子どもに見せていかなければ、子どもも希望を持てないのではないか――彼はそう考えています。
「だから、私は親として人生を楽しんでいます。もう50歳を過ぎましたが、だからといってできないことはないと思っています。俳優を始めたのも40歳を過ぎてから。『やりたい』と思ったときが始めどきなんです。結局のところ、いくつになっても、“今”が一番若いんですよ」
「いつか、『機動戦士ガンダム』シリーズの科学考証もやってみたいなあ」と夢をつぶやく戸梶さん。そんな彼が監修した「深宇宙展」に足を運んでみれば、親子の運命を変えるような、思いがけない出会いが待っているかもしれません。そして、親子の将来の夢や目標も見つかるかも…。
「そう、『深宇宙展』には、宇宙の仕事を紹介するコーナーも設置されています。エンジニアじゃなければ宇宙開発はできないんじゃないかと思われている方は多いんですが、そんなことありません。法律の専門家も、広報をする人も、外国語ができる人も、CGで素敵なグラフィックを描ける人も必要です。将来的には、地球にある仕事と変わらなくて、舞台が宇宙に変わるだけです。
大切なのは、宇宙が好きで、宇宙に関することに携わっていたいと思うこと。その気持ちさえあれば、仕事はいくらでもあるし、文系・理系に関係なく、宇宙開発に貢献できます。まずは、宇宙開発の中で推しを見つけてください。推しなんて変わってもいいし、いくつあってもいい。好きなものを好きなだけ、推したほうがいいです」
セレンディピティは、待っているだけでは起こりません。今年の夏は、ぜひお台場へ!
取材・執筆:スギウラトモキ
取材協力:日本科学未来館